女の子をわざと転ばせたことと、オカメにもらった花束。

私は18歳で1度東京に出てきました。

 

21歳で田舎に戻り、23歳でまた東京に出て、それからずっと東京に暮らしています。私はとにかく、嫌いなものと人の多い学生でした。学生っていうのは、小から高までの、地元にいた頃のことです。いろいろなことが嫌いでしたが、特に嫌っていたのは大人ですね。思春期っていうのは皆さん、そんなもんなんでしょうか。

 

なんだったら幼稚園の頃から大人が嫌いだったように思います。いや、それどころか子どもも犬も嫌いでした。子どもが楽しそうにしていればバカみたいだと思っていましたし、大人が優しく笑いかけてくれば嘘だろうなと思って、犬については臭くて怖くて迷惑だと思っていました。今思えば、イライラした子どもですね。

 

まだ小学校にも上がる前頃、母親と妹とスーパーに行った時のことをよく思い出します。いや、思い出すというよりは染みついているというか。私はすごくイライラしていて、自分よりも小さい女の子にドンとぶつかって歩きました。すれちがいざまに、転んでしまえと思ってそうしました。その女の子が転んだのかどうかは覚えていないけれど、母親に「なんでわざとそういうことするの?」と言われてすごく恥ずかしくなったのは覚えています。バレていないと思っていたし、理由なんて、嫌いだと思ったからです。

 

ただすれちがっただけの子のことが嫌いだと思ったからなんて、そんな理由は口にできないと幼くてもわかりました。だから返事はしなかったと思います。それか、嘘をついたでしょうね、母はほっとかなかったと思いますし。

 

先日渋谷駅を歩いていて、前から来た女性にドンとあたられました。私を転ばそうとした力のかかり具合でしたので、怖いと思いましたが、あぁわかるとも思いました。あのイライラはどこから湧いているんだろう。私はなんで、あんなにイライラした子どもだったんだろう。

 

小学生になっても、中学生になっても、高校生になっても、私はイライラしたままでした。スーパーの時みたいな攻撃はなくなりましたが、そのパワーは嘘つきになることに向かいましたし、教師を心の中でバカにすることに向かいました。高校生の時なんて、同級生すら心の中でバカにしていました。で、最終的にバカにしたのは、生まれ育った地元です。

 

尊敬するものがなんにもない場所だと思いました。東京に行けば、自分はすぐに目立てると思いました。目立てるっていうのは、才能を見出してもらえるとか、外見を誉めてもらえるとか、そういうことです。自信満々だから、周りをバカにしていたのかなぁと思います。でも、それは自信って言わないんだよなぁってことも、今なら思います。

 

自信がないことを誰かのせいにすると、自信が出てきました。わざとドンとぶつかっていってもいいような、そういう自信です。そんな気持ちで東京にきましたから、自分の才能を見出してくれる人がいないっていう、多分そういう理由で地元にまた戻りました。当時は、彼氏が地元にいるとかのいいわけがありましたけれど。

 

それから彼氏と別れて、また東京にきて、お店を始めて。尊敬する大人にたくさん出会いました。一緒に働いてくれているみんな、保護犬の里親会に連れて行ってくれた人、お店に「いつもお世話になっているから」とわざわざお菓子を包んでくださる人、お礼のお手紙をくださる人、家族の介護をする人、仕事を頑張る人、公園の猫を避妊手術して、ごはんをあげる人。尊敬っていうのは感謝のことだったのだと、学びました。

 

昨日、お客さんに小さな花束を頂いたのですが。帰り際の1番最後のタイミングで、「これオカメちゃんに」と。供えるためのお花が、こんなに嬉しいものだと、私はこの歳まで知りませんでした。去り際に下さったおかげで、私は「いえいえでももう立ち直ってきました」とか「もう4か月たちますし」とか、言わずにいることができました。ゆっくりと、ちゃんと悲しかったです。

 

10代の頃だって、こういうことはたくさんあったのだと思います。わからなかったのは、いったいなんでだろうと。今年はそういうことを、新しく漫画にできればと思っています。

 

 

 

 

おおがきなこ